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安保法が成立 [安全保障]

* はじめに
この9月に安保法が成立した。これで世界によきメッセージを発信することができた。この国は世界の良識から孤立することで破滅にむかう。と感じてるわたしにとって、ほっとした。かってのPKO法の成立の時に感じたとおなじ感想である。

今回はマスメディアのみならず、Youtubeで多様、種々雑多な意見、それは率直なもの、独特なもの、あやしげなものの多数が登場した。これは民主主義にとって健全なことである。ところでびっくりしたことがあった。国会の参考人陳述で、憲法学者の方がこの法案が違憲と断定する。この報道におどろいた。この法案は集団的自衛権を一部みとめたものである。それを違憲とするものだった。そこで、あらためて憲法解釈について、考えてみた。

* 憲法で何といってるか
わたしは法律の専門家でない。元法制局長官の阪田雅裕氏の説明を参考とした。

** 1) わたしの結論
1) 主権国家には、本来、個別的自衛権、集団的自衛権がある。
2) しかし憲法を制定し、これに制限をくわえてる。そこから集団的自衛権はみとめられないという解釈がうまれる。

これが、解釈の結論だが、ここにいたるには相当の紆余曲折がある。そこで立場により見解がわかれる。できるだけ端的に説明をたどる。

** 2) 憲法9条1項の戦力の放棄は違法な戦争の禁止という解釈
1) 憲法の第9条第1項は武力の放棄、第2項は交戦権の否認を規定。まず1項についてである。国際法の世界に移行する。1928年の不戦条約で同様の規定がある。それをひきついだ国連憲章、第2条の第3項、第4項もそう。いまの国際法上で、武力の行使は次がみとめられてる。
2) 個別的または集団的自衛権を行使
3) 国連決議にもとづいて行使
つまりこれ以外は違法として禁止されてる。だから憲法の規定が第1項だけだったら、国連憲章、あるいは世界の各国とおなじように、侵略戦争のような違法な戦争を禁止してると解釈できる。

** 3) 9条2項の交戦権の否認、これで政府がこまる
ところが事が簡単にすまない。2項がある。交戦権を否認してる。この両者をあわせ考えれば、おどろくべき結論となる。正義の戦争であれ、違法な戦争であれすべての戦争を否定してる。だから徹底的に平和主義の国になる。そういってる。ほとんどの憲法学者は、現在の自衛隊は戦力にあたるとみなしてる。つまり違憲だという。

** 4) で、こまった政府が憲法全体をみる
ここで政府が登場する。政府は自衛隊が合憲とみなしてる。ではその論理である。

1) 国家には国民がいる。その国民は平和にいきる権利がある。たとえば憲法第13条の幸福追求権の保障がその証左。主権国家として国民の生命、財産をまもる義務がある。9条がその意味で自衛権まで放棄した規定でない。とても頭のいい人が考えた理屈だ。ツッコミ所が相当ありそうだがが先にゆく。

2) 1959年に最高裁で砂川判決があった。米軍駐留をめぐってあらそわれた。そこで自衛隊に言及されたわけでないが、自衛権があるとみとめた。すると自衛権を執行する措置として自衛隊の存在をみとめる根拠ができた。それは必要最小限の組織であり、それが必要最小限の実力行使をするという。なかなか見事な論理だと思う。でも大方の憲法学者とは見解がことなるとみとめている。

** 5) 必要最小限の内容ならゆるす
ここからが大切なところ。自衛隊が必要最小限ならゆるす。で、これをこえてるかどうかは国会が予算審議等をとおして国会が判断する。これすなわち国民の判断であると政府は考える。量的にどうだとかは一概にいえない。ただ、その性質からいえることがある。

1) 専守防衛という考えから、もっはら攻撃を目的とする航空母艦、長距離ミサイルは駄目
2) さらに自衛隊が国民の生命、財産をまもるために存在することから、海外での武力行使は基本的にない。
3) この「基本的に」というのは、たとえば自衛のために外国の武力攻撃があった。それを排除するための行動が領土、領空、領海の外に及んだ。これはあり得る。さらに自国の防衛のために必要最小限度の範囲内で公空、公海に及ぶ。これもあり。としても、それ以外の場合に海外、特に外国の領土、領海、領空で武力を行使することは許されない、というのが政府の解釈である。

ここでちょっと首をかしげる。航空母艦も長距離ミサイルも専守防衛に不必要か。とりあえず先にすすむ。

** 6) 集団的自衛権の否認
したがって集団的自衛権であれ、集団安全保障であれ、それは直接的には国民の生命、財産が危険にさらされている状況ではない。にもかかわらず、自衛隊が海外に行って、たとえ国際法上違法でないにしても、武力を行使することを憲法9条が容認していると解釈する論拠は憲法をどう読んでみても見出すことができない、ということ。

この「危険にさらされている状況でない」。だからみとめられない。本当か。疑問を感じる。

* 感想
法制局といえば政府でもっとも頭のよい人たちがあつまるところ、その長官である。平明な説明の中で的確に重要事項を指摘し結論をみちびいてくれる。まず感謝する。さてわたしの感想である。

** 1) 集団的自衛権の否認、それほど確かなのか
では集団的自衛権である。世界に戦争があり、敵性国家もある。この国はそれにそなえる必要がある。あらためていうが、憲法で明文の規定がないので、自衛権の保持も個別的あるいは集団的自衛権も解釈によるしかない。その論拠は1928年の不戦条約や国連憲章、国際法や慣行である。それで自衛隊を合憲として、その組織、自衛力の多少は国会、国民の判断とする。そういっても、その性質から、航空母艦、長距離ミサイルを否定、また基本的に集団的自衛権を否認する。安全保障の状況は冷戦以降ずいぶんかわった。その時の都合でかかれた古証文を金科玉条のようにありがたがってるだけ、と思う。

** 2) 政府の事情、政治的判断
1) 法制局長官の解釈は政府の解釈である、憲法学者の解釈でない。この解釈は政治の現場でおこなわれる。政府の解釈は政治を影響をうける。

2) 自衛権から集団的自衛権の発揮を極力なくそうとしたのは、戦前の日本の軍隊を連想させることをおそれた。まだ警戒心がとけない世界があり、さらに安保条約の当事国である米国にすら、戦前の日本の復活を警戒してた。

3) 過去の惨禍を想起する国民の理解はとても得られない。野党勢力が政府を攻撃するかっこうの材料となる。改憲などとんでもない。それより経済の発展に集中したほうがよい。

4) 冷戦がおわり、現状にあらたな問題がうまれた。それを認識してたが、それでもなお、改憲のような根本的手段をとるよりいわば弥縫策のほうを選択した。憲法において何よりも重要なも国民の生命、財産の保護より、率直にいうが、政府、与党の保身を優先した。論争をさけ、そのため集団的自衛権の放棄は国是のようになった。

** 3) 政府の対応をどう評価するか
1) 政治は、いたずらに理想論にはしることなく、日々の問題の解決にあたるべきとの考えがある。わたしは政府や与党の選択は妥当だったと思う。そして、このことを何度もの選挙をつうじ国民は了承してる。けっして政府、与党の独断ではない。民主主義の政治でゆるされる。

2) わたしは、必要な自衛権を発動すべきである。これが望ましい政府の憲法解釈と思ってる。今回の安保法はその意味で了解できる。

さて結論である。

* 結論
1) 自衛隊を違憲とする方に、何故そうか、特に憲法全体から考えて何故そうなのか。そう解釈するならば、憲法が想定する国家像は何か。

2) 安保法を違憲とするが自衛隊は合憲とする方に、憲法は自衛権、集団的自衛権、個別的自衛権について明文の規定がない。何故、自衛隊が合憲なのか。さらに、今回の安保法の集団的自衛権の一部容認について、その適否は法律家より安全保障の専門家が判断すべきと思う。にもかかわらず違憲と断じる論拠は何か。

これはおもに憲法学者の皆さんへのお願いである。今後の選挙の争点ともなるだろう。できればYoutubeでおおくの人にむけて説明いただけると、ありがたい。

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