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門のない学校 [前置きと例え]

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兵庫県、宝塚市の 市立山手台中で女子トイレの盗撮騒ぎがあった。同校は開かれた学校として開設され、門のない市立中学校として現在、全国で惟一の存在となってる。これを契機に市教委は門を設置する方針という。開かれた学校について説明する。


20年ほど前、社会に開かれた学校という考えが注目をあつめた。同校は1994年の開校から「開かれた学校」の象徴として門を設置しなかった。この2年後に中央教育審議会答申でも提言された。ところが2001年、大阪教育大付属池田小学校で発生した事件で児童8人が犠牲となった。安全確保の重要性が再確認され、門のない学校という理想は急速にしぼんだ。わたしの感想である。

同校の所在地は宝塚歌劇、漫画家手塚治虫などから高級住宅地だとみなされている。理想にもえ門のない学校を目ざしたことはわかるが、あの池田小学校の惨劇の後もなお継続し、盗撮事件をうけてやっと門を設置するという動きにあきれる。一体、どのような議論がなされて2001年以降の継続を決定したのか。児童への安全対策をどうとったのか。疑問が噴出する。ここで一番問題とするところをいう。

市立の中学校である。義務教育である。父兄は私立中学校を選択しないかぎり、山手台をえらぶほかない。門のない学校の理想を追いもとめる人がいてもいいが、地域住民の総意が2001年の事件後もそうだったのか。強い疑問をかんじる。私立がこのような理想をおうことは、それなりの見識である。父兄もそれを承知で入学させてる。地域住民が強く門のない学校をもとめてるなら、安全に配慮しつつ、継続を選択するという考えもあってよい。本当にそこまで検討したのか、また疑問がうまれる。すこしお説教くさいことをいう。

民主主義は自由を尊び多様性を大切にする。公立中学校も多様なものがあってよいが、その選択は地域住民の総意にもとづくべきである。この意味でどんな理想があろとも行政の恣意によるべきでない。市教委は設置を目ざすが、一部住民の反発をおそれているとの記事があった。

もしそうなら、住民アンケートを実施すればよい。それで継続をのぞむ声がおおきければ、安全確保の手段をつくして、継続すればよい。とまあ、こんな重たい議論をしてきたが、実情はどうか。わたしは宝塚という地域のイメージはわかる。だから大体、どんな状況かも想像できる。現在はそうとう変化したかもしれぬ。現在の住民の意識や、地域の実情をしらないが、あえて誤解の危険性を承知でいいたい。で、結論である。

一時もえあがった理想でやってみたものの、事件もあり設置したい。ところが推進派の反発が面倒である。面倒をおそれる市教委には設置に踏みきれなかった。これだけでは。民主主義は多様性を大切にする。このような問題で多様な意見がでるのは当然である。独裁国家でないから一様に収束するはずがない。そこで決定をするのなら、これまでやってきた。変更すると一部に強い反発がでる。それで変更できない。これは民主主義の原則にもとる。決定は多数決によるべきである。

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