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佐村の変 [これって何]

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もうどれだけの人が、おぼえておられるか。小保方さんの騒動にたまに登場する。佐村河内守氏である。現代のベートーヴェンともてはやされ、交響曲「HIROSHIMA」はクラシックとしては異例のCD10万越えの売上をしめした。被爆者の両親、全聾で独学の作曲家、長髪、黒眼鏡で異彩をはなっていた。ところが突然ゴーストライターが登場して、たちまち真実が暴露された。

批判がたかまりとうとう記者会見がひらかれた。そこで長髪、黒眼鏡が一変した。お笑い芸人カンニング竹山さん似の素顔をさらした。一瞬誰がきたのかと記者連中はあっけにとられたそうだ。そこから会見がはじまった。本人は真面目だったが、白けムードというかお笑いムードがただよった。

「振りむいて俺のことかと楽聖いい」
「もの言えば唇寒し交響曲」
「世界初、耳がきこえるベートーヴェン」

わたしは、こんな歌をつくってみた。楽聖ベートーヴェンもこんなことでひっぱりだされるとはと苦笑してるかも。読唇術ももう必要なかったみたい。

では比較

佐村河内守氏のwikipediaから自事務所が発行した自伝(プロフィール)にもとづく略歴があった。そこで、ベートーヴェンと「あの佐村河内氏」を比較した。けっこう、似ている。しかしよくしらべると、違う。

ベートーヴェンと「あの佐村河内氏」
事項ベートーヴェン「あの佐村河内氏」
難聴発症28歳。絶望のあまり自殺を考えた25歳
充実期34から44歳ころ35から51歳
全聾40歳といわれる35歳
終焉56歳死亡51歳発覚

ベートーヴェンは難聴であったが全聾ではなかったらしい。人の話しはきけないが、ピアノの音がきこえた。弟子がひくピアノの音にふりむいて、「そこは違う」といった、という。ワーグナーがデビューした時、演奏をきいて、ひじょうにほめた、という。筆談帳をつかっていた。これは当時の政府に危険人物とにらまれていたので、盗聴をおそれてのことだった、という。さらに、他の作曲家の例であるが、全聾となってから、作曲活動がおちた、という。ベートーヴェンはこの時期にもすぐれた作品をおおく発表している。

「あの佐村河内氏」は、作曲活動期のほとんどが全聾期にあたる。全聾の作曲家としてはベートーヴェンを上まわる稀有の作曲家である。

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